ボイタ法の施術を25年受けて面白いなあと感じることは、
自分が絶対にこうなりたいと思い続けながらやっていくと
それに近づいていくことができるが、
ただ自分の身体を維持していこうという気持ちだけでやっている時は
維持できないのである。
こうなりたい、ステップを一つ上げたい、と思いながらやっていくと
結果的に維持している段階に上がっていけるのだと思う。
メンタルの持ち方一つでリハビリのセッションの質が全然変わると思う。
面白いことに、患者のメンタルの質が変わるということは、
腕がいいいセラピストでもまだ未熟なレベルのセラピストでも変わらないということである。
それは患者の気持ちのことなので要求はどのセラピストにも同じレベルでするので、
腕が未熟であってもある程度のこうなりたいと思っていることに近づいているような気がする。
最初からハイクラスの事を要求すると当然そこまで到達するのは難しいが、
及第点くらいには少しずつ近づくことができると思う。
僕の主観であるがボイタ法の施術を受けている時に感じていることは、
腕がいいセラピストほど無理がないのだと思う。
無理がないから理に適い、
適っている分だけ 施術が終わっても施術の効果の持続時間が長く続くのだと思う。
無理があるということは、
無駄があったり、いらない部分の力が入っていたりするからうまくいかないのだと思う。
無理があるということは無様だと思う。
スポーツや武術のことで考えると、
無理があるから無様だったりぎこちない動きになるのだと思う。
ボイタ法では上手いセラピストほどぎこちなさが無いように感じる。
だから施術の指圧の通りが良いのだと感じる。
逆にいうとそのぎこちなさが無くなってくれば、
セラピストの腕が上がっている証拠なのではないかと思う。
![](https://vojtakozou.com/wp-content/uploads/2022/08/Screenshot_20210310-1322472-150x150-1.jpg)
患者としてメンタルの持ち方で変わる面と、
セラピストの技術面の感じ方のミックスによって、
良くなったり良くならなかったりの
結果に繋がっていく過程になっていて面白いと感じている。
それは、いろいろな施術を受けたりスポーツをやったりの経験をして
10代後半から20才代前半くらいになんとなく解るようになってきた。
身体の使い方は、僕のやっている空手の師範がよく言う
『一眼二足三胆四力』
に繋がってくるのだと思う。