- 2021年8月31日
ボッチャ杉村英孝選手の精神力とは
パラリンピック ボッチャ個人種目 日本初の金メダルを獲得した杉村英孝選手、 必殺技の スギムライジング よかった! おめでとうございます。 「火ノ玉ジャパンの頭脳」 といわれ、日本代表の主将を努めている杉村英孝選手。 杉村英孝選手は小学生の頃から高校生まで静岡医療福祉センターで、 同じような障害を持つ子ども達と一緒に生活をしながら学校に通いリハビリに励んでいた。 息子が保育園、幼稚園、小 […]
パラリンピック ボッチャ個人種目 日本初の金メダルを獲得した杉村英孝選手、 必殺技の スギムライジング よかった! おめでとうございます。 「火ノ玉ジャパンの頭脳」 といわれ、日本代表の主将を努めている杉村英孝選手。 杉村英孝選手は小学生の頃から高校生まで静岡医療福祉センターで、 同じような障害を持つ子ども達と一緒に生活をしながら学校に通いリハビリに励んでいた。 息子が保育園、幼稚園、小 […]
息子は出産時のトラブルで仮死状態で生まれ、身体障がいをもっている。 だから将来は 『自分が障がいを持っているからこそ解る事』の相談にのってあげられるような仕事をしたい と言っていた。 そんな目標をもっていたから福祉大学に進学した。 そんな仕事は何処でできるのだろう? ソーシャルワーカー? ピアカウンセラー? 大学では福祉心理学を学び、 社会福祉主事、児童指導員、児童福祉司、心 […]
幼稚園に入園後も 息子にはまだまだできない事がたくさんあり、 次の壁となる3年後の小学校入学の事まで とても想像できなかった。 歩けるようにはなったが、 それは平らな床の上での事で、 傾斜のある坂や段差のある所や 砂利道などでは、バランスが上手くとれずに転びやすいので、 手を繋いで何とか歩ける状態だった。 階段も手すりがないと上り下りするのが難しかった。 とにかく身体のバランスをとることが苦手 […]
ダウン症の書家である金澤翔子さんの席上揮毫(きごう)を目の前で観たことがある。 『飛翔』という文字で、 一筆一筆ごとに魂が込められている力強さを感じた。 素晴らしい芸術作品で感動だった。 書いてる姿を見ながら私は、 お母様はどのような子育てをされたのだろう? やっぱり人と同じ事をしていては決してこのようにはならない! 親子の努力、戦いがあったはずだ と思った。 だからこそ、障がいを持っていても 好 […]
2021年 桜満開の4月、 出産時に障がいを持って生まれた息子が県職員となり社会人1年生となった。 脳性まひの子を育てるという事は、 どこまで成長できるか? どうしたらいいのか? と先が全く見えない苦戦の日々だった。 あちこちまわり道をし、時間をかけ、ゴールが何処かわからないけれど突き進んできて、 こうして公務員試験に合格でき、 無事に職に就く […]
幼稚園の時、絵画教室に通うようになったが、 息子にとっては絵を描く事もリハビリの一つのようなものだったのかもしれない。 上肢にも障がいがあったので、 腕に力が入ってしまったり、 手先を使う細かい作業が苦手だった。 でも絵を描くために、 腕の力を抜いて大きく動かして描いたり、 細かく描いたり、 絵の具の小さなふたを開け閉めしたり、 絵の具と水の量を調節して混ぜてつくったり、 自然と手先を動かすリハビ […]
障がいがあっても息子が好きな事や、身につけた方がいい事や可能性を探る為に、 幼稚園に通っている3年間はいろいろな事を体験させてみた。 ・リトミック教室・体操教室・絵画教室・スイミングスクール どの教室も友達の紹介や、先生を調べて探し、指導して頂いた。 どんな事に興味を示すのだろうか? どんな事にむいているのだろうか? 障がいがあってもできる事はあるのだろうか? 幼児期ではまずやってみて、好きなこと […]
幼稚園入園前に、 ボイタ法のリハビリを集中してやってもらう為に母子入院をした。 目標は、 『入園式で歩けるように』 だった。 入園式当日、親はホールの席にて座って待っていた。 そこへ新入園児の入場である。 一人で歩いて来れるだろうか…? 不安で心臓がバクバクしていた。 すると、年長のお兄さんお姉さんが新入園児と手を繋いで入場してきた。 息子は背の高いお兄さんに手を繋いでもらって、笑顔で入ってきた! […]
息子の空手との出会いは突然だった! 小学6年生のある日曜日の朝、 当時毎週放映されていた 「笑っていい☆☆!」 という番組を見ていた息子が、 「母さん!これ習いたい!!」 と、大声で叫んでいた。 「何? 何を見て言っているの?」 と私も慌ててテレビを見ると、 『古武術』というもので、 甲野善紀氏がビール瓶の入っているケースを軽々と持ち上げたり、 テレビの出演者を人差し指一本で押して倒して転ばせてい […]
息子の保育園は2才児までの小規模園なので、 そのあとは何処へ通ったらいいか? ということまで、全く考える余裕無く過ごしていた。 なぜならまだ3才の段階で、 自分で歩く事ができなかったからである。 とにかくリハビリに通う事が、一番の親子で頑張る事だった。 リハビリの先生には、 「まだなるべく歩かせないように。 ハイハイをいっぱいさせて下さい。」 と言われていた。 綺麗なよつばいができなければ、 綺麗 […]