「君は外れ値の障がい者だね」と、
息子が大学生の時に教授に言われたと帰宅後に話してくれたことがきっかけで、
私は障がい児障がい者についてもう少し勉強してみたくなった。
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「外れ値」というのはどういうことだろう?
息子の障がいは、一般的な障がい者(身体)の基準から大きく外れていることが統計などを見て解った。
ボイタ法のリハビリのおかげで、ずいぶん障がいが改善されてきていたからだろう。
それまでは息子を育てる事だけで精一杯だったが、
大学生になり子育ても少し落ち着いてきたこともあり、
福祉大で学んでいる息子の話をいろいろ聞いているうちに、
私ももっと ‘知りたい‘ ‘勉強してみたい‘ ということが膨らんでいった。
私は幼稚園、保育園で子どもたちと日々過ごし、
保護者の相談にのったり子育て支援もやってきたが、
健常の子だけでなく
障がいをもった子や親を支援することも大切なこと、
必要とされていることだと感じていた。
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私が障がいを持った子を育てる時に大変だったことや、
つまずいたこと、悩んだこと、成功したことなどを伝えていきたいと思った。
私に神様から息子が与えられ、
こうして一人前になるまで育てることができたことが
これから誰かの役にたってくれると嬉しい。
そのためにもっと専門的な知識を身に付けたうえで、
障がいを理解し寄り添った相談支援ができるようになりたいと思い、
まずは特別支援教諭免許をとるために勉強してみようと思ったのである。
免許を取って何かしようと思ったのではなく、
免許取得という目標を持った方が、ただ研修を受けるだけの勉強より
私自身がきちんと形を残す勉強ができると思ったからだ。
たまたま小学校教諭免許も持っていたのでそれにつけ加える形で特別支援の4科目の勉強だけでよかった。
こうしてまず免許を取得することができた。
保育士として子ども達と過ごす日々は大変なこともたくさんあったが、
それ以上に子ども達から元気をたくさんもらえたり癒されることもあり楽しく大好きな職業である。
大好きなことを仕事にできて過ごせてなんの不満もなく楽しい日々を送れていたが、
私の残りの人生に課されていることとは何だろう?
定年退職する時期を迎える数年位前から、
今後このまま保育士として過ごすことだけでなく私にしかできないこと、
私だからできることは何だろう?と考えるようになっていた。
私にしかできないことを経験するために息子が与えられたのだろうか?
神さまから与えられた理由が必ずあるはずだと思った。
これをきっかけに、
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・障がいをもつ支援の必要な子に関わる仕事をしたい
・障がいを持つ子を育てる保護者の悩み苦しみ喜びに寄り添えることをしたい
・できるだけ早い時期 (小学校に入学する前の子ども) からの療育で、少しづつでも変化や成長がみられるように指導して支えたい
ということを考えながら、そのためにはどんな環境が良いだろうかと調べ始めた。
保育園や幼稚園には少し発達が気になる子もいるが、
大人数の中ではなかなか一人一人に合わせたことをじっくりできず歯がゆい思いをすることが多かった。
なので幼稚園や保育園での集団の中で生活することに加え、
その子の発達に合わせて
短時間で個別に集中してインプットして、
補って身に付けて伸ばしていける療育をしているところはないだろうかと探し始めた。
個別に療育しているところはあるだろうか?
いろいろ検索してみると、集団の児童発達支援をやっているところは市内にも最近急に増えてきたが、
個別支援をやっているところはまだほとんどなかった。
そして支援、指導の内容、指導法も気になっていた。
そうしているうちに個別レッスンをしている児童発達支援教室を見つけたのである。
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まず見学してみようと足を運んだ一つ目の教室が、私の思いに合うところだった。
結局他のところを見学することもなくそこに導かれるかのように勤めることになった。
勤める少し前にわかったことだが、この教室の母体会社は
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静岡の障がい者サッカー(アンプティサッカー ガネーシャ静岡)の
スポンサー会社だったのである。
息子のやっているサッカーと繋がっていたことは驚きだった。
アンプティサッカーW杯日本代表選手の後藤大輝選手が会社に在籍している。
何かの縁も感じ、人との繋がりの素晴らしさを感じ、
これからも無理せずに私らしく私のやれることを精一杯やっていこうと思った。
長く勤めていた園を退職する時にいただいた前園長先生からの手紙の中に、
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相田みつを氏の言葉があった。
わたしは無駄に
この世に生まれてきたのではない
また人間として 生まれてきたからには
無駄にこの世を過ごしたくはない
私がこの世に生まれてきたのは
私でなければできない仕事が
何か一つこの世にあるからなのだ
それが 社会的に高いか低いか
そんなことは問題ではない
その仕事が何であるかを見つけ
そのために精一杯の魂を
打ち込んでゆくところに
人間として生まれてきた意義と
生きてゆくよろこびがあるのだ
〈昭和35年12月 相田みつを〉
人間誰一人として、生まれてきたことに意味がない人はいない。
それだけで存在価値があるということだ。
どんな人でもその人でなければならないものを持っているはずである。
それに気づくのはなかなか難しいが、
自ら決断し誰かのために何かのために一生懸命に取り組んでいくことが
人間として生まれてきた意義といえると思う。
人が生まれてきて私でなければならない仕事を「使命」というのだろう。
その人にしか成し遂げることのできないことがあれば、
それを成し遂げるためにより多くを知り、学ぼうと思うだろう。
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一生懸命にやったり、一途にやっていくことにより、
人に助けてもらったりパワーがもらえたり、
優しさをもらったり返したり、
それが生きていくということで、
それを真実なものにするかどうかが人生なのかもしれない。
みつを氏のこの言葉をいただき、今の私の思いにぴったりだと思った。
私が新たに児童発達支援の仕事と出会い、
どんな使命をこの人生で果たそうとしているのか が、
この年になって導かれ、見いだせたことに感謝している。
人間の本当の幸せとは 充実感のある生き方だと思う。
自分にしかできないものを見つけ、残りの人生自分の価値を発揮できる人になりたい。
そう思いながら新たな人たちと出会い、使命が与えられたことに感謝する日々である。
息子は今県職員として働いているが、
将来は息子にも息子にしかできない「使命」のある仕事が与えられるよう祈っている。
🎄merry christmas !🎄
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