患者として思うこと

すべての国家資格を有する職業に通じることかもしれないが、

試験のために一生懸命勉強をして、難しいからこそ合格したらそれがゴールのように燃え尽き症候群のようになっていないだろうか?

例えば理学療法士や保育士や教員など知識はつくが座学の勉強ばかりで人間相手の実技の試験がないので、

中途半端な知識だけの頭でっかちな有資格者ができてしまっているように感じる。

頭は良いが実技監査などで専門的に見抜ける人がいないのが問題だと思う。

例えば昔の大工などは資格などなかったので、

見習いから入って親方について技術をずっと見ながら覚えて修行をして、

力がついて親方に認められれば独立することができた。

空手もそうだ。

古来の流派は師範から習ったものすべてが試験範囲になり、

それが師範の目線から到達しているとその段位がもらえて、

20年以上稽古をしたのちに力が本当についたと認められれば免許皆伝が得られ、

そこまでいけば本物だと見られるレベルになれるのである。

現在の空手の主な日本の流派では、

どういう形や組手の試験をやるかや、合格ラインがどのくらいのレベルか開示されていたり、

試験中の動画がSNSで出回っている。

逆にいうとそれだけ形と組み手のポイントをおさえておけば合格できるということだ。

なので応用的な技は身につかないと思う。

定型的な基本組手が試験内容になっているので、それ以外のものは対応できないからレベルが低いのだと思う。

僕の流派に限るが、本家の井上元勝師範の審査は茶帯レベルの合格は今でいう全空連の3段相当が合格ラインだったそうだ。

そして習ったすべての技ができないと合格できないのである。

僕の流派では茶帯に受かるとやっと武器術を習うことができるようになるのである。

命を守れる基準のレベルにならなければ武器は命に関わるのでやらせてもらえない。

理学療法士も昔は県内に10数名位しかおらず、オールマイティーにできなければならないのでレベルがかなり高かったはずである。

しかし理学療法士の人数を増やそうという国の施策により、

今は国家資格をとっただけで理学療法士は見習いをしたり技術向上の研修をする期間もなく施術行為をするので、

患者がよくなるわけがないと思う。

僕の担当セラピストの話によると、

ドイツやヨーロッパ諸国などでは見習いとして技術を継承していたり、

国家資格も座学だけでなく2次試験で実際に患者相手に施術をする試験があり、

その効果がだせなかったら免許がもらえないし試験は一生涯で2回か3回位しか実技試験が受けられないそうだ。

受からなければ理学療法士としての特性はないと判断されるそうだ。

資格をとることが目的でゴールではなくスタートラインであるということを、

大学や専門学校で教えてほしいと思う。

これから後期高齢者が増えていく中で、

理学療法士の質やレベルが本当に直せるレベルが担保できるのかが不安である。