出産という落とし穴でハンディキャップ

昨年還暦を迎えた誕生日に、私の人生のどうしても残しておきたい記録として

『出産という落とし穴』という投稿をしたが、ちょっとしたミスで半年前位に消えてしまった。

やはり残しておきたいと思い、もう一度書いておこうと思う。


私は結婚してからは東京に住み、出産する約3か月前まで保育士として働いていた。

妊娠後は大きな大学病院の産婦人科を受診し、

検診を受けなんの異常もなく元気に仕事をし過ごしていた。

25年も前のことであるが、

妊婦検診に行くとその病院では国内最新式の超音波エコーが何台もあり、

赤ちゃんの心臓の弁や手足の指までしっかり見せてくれて、

全く異常のないことを確認していたので、

出産、赤ちゃんのことはなんの心配も不安もなく過ごせていた。

しかし出産する時には里帰り出産を選び実家のある静岡へ帰省したのである。

出産直前まで全く何もなく順調だったが、

出産するその時に産道から赤ちゃんがなかなか出てこれず、

赤ちゃんの呼吸が止まってしまった。

個人の産婦人科でなく総合病院での出産だったので、

すぐに小児科の先生も来て下さり蘇生させてくださったおかげで息子の命は助かったのである。

総合病院だったことだけが幸いだった。

この子は神さまに守られている子だと感じた。

呼吸が止まっている時間があるので、

もしかしたら今後障がいがでるかもしれないと出産後聞かされ、

不安に思った私はできるだけ早く東京の病院へ帰ることにした。

東京の病院で里帰り出産での経緯を話し聞いてみると、

もしこの病院で出産していたらこのようなことにはならなかっただろうと言われ、

私の心は崩れ落ちてしまった。

私のせいで今後息子に辛い思いをさせてしまうことがないよう、

良いと思うことは何でもしようと心に誓った。

おっぱいも飲み順調に育ち検診でも特に何も言われていなかったが、

4~5か月の頃抱っこしていて首が座ってきていても

10割中1~2割位まだ不安定なことを感じていた。

幸いなことに私は保育士をしていたので、

他の赤ちゃんを抱っこした首の座りの感覚となんとなく少し違うように感じたため

そのことを医師に伝え、

今何かやることはないですか?と聞いたが、

「1歳位まで様子をみてみましょう」という返事だった。

「今のところはまだわからないから様子をみましょう」という言葉を聞いて安心するのでなく、

私の気持ちは ‘やれることがあったら早くやりたい‘ と焦っていた。

医師は私の思いを解って下さり、

「ではリハビリをやってみますか」と言ってくださった。

私は「やります!」と即答した。

これが息子のリハビリの始まり、そしてボイタ法との出会いだった。

息子が中学生の時に一度だけ

「母さんが静岡でなく東京で産んでくれたらこんなことにならなかったではないか!」

と言われたことがある。

返す言葉がなかった・・・

本当にごめんね・・・

謝っても謝りきれることではない。

私の生涯をかけてこの子に良いと思うことは全て納得するまでやろうと決めたのである。

まさか出産時にこんな大きな落とし穴があるとは知る由もなかった。

出産時の酸素不足で脳性まひというハンディキャップを背負わせてしまったことは、

私と息子の人生が一瞬にして大きく変わってしまったできごとだった。

こんな辛い苦しい思いが出産によっておきないよう、

落とし穴に落ちることがないよう、

これから出産する妊婦の方に伝えていきたいと思っている。

『出産をあまくみてはいけない』

『産み終わるまでなにが起きるかわからない』

母子健康で出産できること、

赤ちゃんの命が守られて、

五体満足で元気に生まれてこられること、

普通であることが

どんなに幸せなことかと。