息子が障がい者サッカー(CPサッカー)に出会い岐阜のチームへの練習に参加するためにまず考えたことは、
これから毎回岐阜の練習場までどうやって行こうか?ということだった。
せっかく息子が「やってみたい!」とやる気になっているので、
今まで行ったことがない岐阜というところだったが、
なんとかして通わせてあげたいと思うようになった。
息子が初めて横浜でのCPサッカー合宿を見学に行った中学生の時、
身体障がいがあっても代表選手達は親の送迎などではなく
みんな自力で全国から代表合宿グランドまで来ていたのを見ていたので、
こうやって一人で練習場まで来れるようになるためには、
まず息子になにを身に付けさせたらいいのだろうか? と考えた。
それまではリハビリ通院する時は当たり前のように親が車で送迎をしていた。
もし息子がCPサッカーに出会わなかったら、
障がい児者にとって『送迎』は当たり前なことで必須なことだ と
息子も親である私も思っていただろう。
まずはリハビリ通院が自分でできるようにと思い、
そのためにJRに乗って行く練習を一緒に何度もした。
切符を買いどこのホームからどうやって乗り、
車内の優先席を知らせ、安全に乗って行くことを教えた。
一番不安だったのが駅の階段だった。
バランスをとるのが苦手な息子は手すり無しで階段を降りることが危険だったため、
人混みに押されないようしっかり手すりにつかまってゆっくり降りることを注意した。
駅でバスに乗り換えて病院まで行く道のりや、
帰りのバス停の場所や違う路線バスもあること、
時刻表の見方などを知らせ 少しずつ一人で行けるようになってきた。
駅の南と北の2つの出口側から病院までの循環バスがあるため、
逆に乗ってしまい大回りをして病院に着いたり、
かかる時間を間違えてしまったためリハビリの時間に間に合いそうもなくなってしまったり、
結局タクシーで行ったこともあったそうだ。
市内の病院まで行くことに慣れてきたら岐阜へも一人で行けるように、
普通列車の場合や快速電車、新幹線、乗り換える駅もその時に合わせて選択できるように
何度もついて行きいろんな方法を知らせていった。
駅から練習グランドまでの行き方、バス停の位置や時刻表を自分で調べ
バスで集合場所まで行けるようになってきた。
繰り返し岐阜まで行くうちにだんだん、
練習時間に間に合うための乗り換え時間や、
バスの時間を逆算して行動することも身につけることができた。
こうして一つ一つをクリアしながら岐阜行きの練習をするうちに、
交通機関を使ういろいろな術を覚えることができ、
その後の県外での代表合宿招集も自分一人で行き、
参加できるようになったのである。
社会人になるまでにこのことが身につけられたことが
障がい児者の行動範囲を広げていく大きな鍵となっていると思う。
障がいがあるから多分できないだろう! そんなこと無理!と
諦めるのでなく、失敗してもいいから一つずつできるように繰り返し教え
チャレンジしていくことが大事だと思う。
社会人になると仕事の時間に間に合うように
職場へ自分で通うことができるようになることが
障がい者の一般社会への就職の必須条件になると思う。
公共機関を使っての移動が全国各地でできるようになり、
その後運転免許も取り、
現在はさらに少しずつ車での行動範囲を広げられるようになっている。