ストローク 一歩ずつ進んでいく

2008年の北京パラリンピック水泳平泳ぎで、

金メダルをとった鈴木孝幸選手のテレビを見ました。(中学生の時)

孝幸選手は浜松出身で、生まれつき両足と左手がなく、右手も3本しか指はありません。

生まれた後、両親がいなくなってしまい

保育園の園長先生にひきとられて育ててもらったそうです。

保育園の頃から水泳を始め、普通の小学校に通っていました。

孝幸選手は、

「初めからこんな感じで生まれてきたんで、

この体でやるしかないという思いでいつも何でもやっている。」

と言っていました。

早稲田大学に合格して、東京で一人暮らしもしていました。

僕は、手と足がない人がどうやって水泳をやっているのだろうか、

息継ぎをどうやっているのだろうか、

クロールは、腕はしっかりと回るのだろうかと心配でした。

一人で頑張っているのはすごいし、

努力をしているのも並大抵のものではないと思います。

僕も幼少の頃からずっとリハビリを頑張って努力をして、歩けるようになりました。

でも僕には、孝幸さんにはない指も足もしっかりとあります。

だから僕ももう少し努力をすればもっと早く物事ができると思います。

僕にできなくて孝幸さんにできるということは、

ただ僕が自分に甘いだけだと思います。

僕はみんなに

「努力はしているよ。」

と簡単に言っているけれど、孝幸さんのように努力を結果や自信につなげたいです。

例えば、今年の9月に空手の全日本大会に出場します。

その大会では型をやりますが、その型がしっかりと

自分の自信になるような型に仕上げたいと思います。

その自信とは、

“この型なら絶対に負けないぞ” という心 です。

僕は小学校6年生の終わり頃に、

古武術の人が重たいビールケースを軽々と持ち上げたり、

人を力を入れずに倒したり、

引っ張り上げたりしているのをテレビで偶然見て、

「あ、これやってみたい。」     

と、強く思いました。

すぐに母が調べてくれて、唯心会の大川先生 の道場に通い始めました。

良かったと思ったことは、

自分がどうやって身を守るかがわかったし、

攻める時も人間の一番嫌がる所を知ることができました。

そしてバランスをとれるようになってきました。

少し大変なのは腰が入らなくなっているということです。

僕が負けたくないと思うようになったのは、孝幸さんが、

「絶対に自分と相手に負けたくはない。」

と言っていた一言で、すごく僕のやる気が出てきます。

自分より身体の悪い人が、

「負けない。」

と、思っている人がいるのに、僕は自分がかっこ悪いなと思いました。

孝幸さんのテレビの題名は、

『自立へのストローク タカ22歳の旅立ち』 でした。

孝幸さんは、他の人には迷惑をかけずにしっかりと卒論を書いたり、

指がないのに一人で教科書などをひもで縛ったり、

料理も自分で作っていました。

僕は今、両親やいろいろな人に迷惑をかけています。

本当は自分自身の力でできることを母の力に頼ったり、

勉強では力を抜いてしまったり、

一つ一つの事をしっかりとやっていませんでした。

このテレビを見て自分自身が自立していかないといけない と思いました。

もし、僕が孝幸さんと同じ22歳になった時、

自立をすることができているといいです。

孝幸さんは、北京で日本のリーダーとしてみんなを引っ張っていたし、

個人で金メダルを取りました。

僕も障がいという大きい壁に当たって行きどんどんその壁を崩したいです。

ストロークとは、ひとかき、ひとこぎという意味でした。

僕も、確実にひとかきずつ進歩していきたいと思っています。

(中学2年生の時の作文)


東京パラリンピックが始まる前位に、

鈴木孝幸選手が全日本記録を更新したという新聞記事をたまたま見て、

僕が中学生の時に鈴木孝幸選手についての作文を書いた事を思いだした。

この10年でイギリス留学をして更に活躍の場を広げていたことに驚いた。

鈴木孝幸選手が手と足がない障がい者でありながら大学を卒業していることを、

中学2年生の時にドキュメンタリー番組を見て知ったことで、

僕も進学する夢を持ち、数年後に大学入学、そして卒業することができた。

孝幸選手が指がない中で

自分の身の回りのことを全てやっていることを見て驚き、

僕もやってみようと思い、目標をもって真似をしたりしたので、

僕も身の回りのことがだんだんできるようになったのだと思う。

僕が孝幸選手の頑張りを見てヒントを得て、

自分ならこうしたいと考えて解釈し 前に進んだように、

僕のブログを読んで何かヒント見つけて

一歩でも前進してくれる人がいると嬉しい。