百聞は一見に如かず

道場の稽古中に、ある合気道場の道主が挨拶に来られた。

半年位前にその先生の知り合いの道場で、

杖術の稽古の時に道場生がふざけていたので師範が拳骨を子どもにしたらしく、

あんまり厳しくするとパワハラになるし優しくしすぎるとなめられるのでどうしたらよいかという相談だった。

その相談に対する僕の師範の回答は、

日々の稽古の中で弟子達に師範レベルの技や術を見せたことがあるのか? 

口ばかりの指導になっていなかったか? と言っていた。

ふざけている時に一度本物の技を見せるだけで稽古の空気が一変するはずだ。

その技を見せればその指導の言葉にも信用性がでてくる。

昔の道場は稽古中師範は普段は見ていたりするだけだったが、

たまに弟子達に技を見せることがあったそうだ。

その時は技を怪我をするかしないかの寸前のところまで本気で師範にかけられて何もできなかったそうだ。

そうすることで師範の言葉の信用性が全く違ったそうだ。

僕の師範は僕の技が言葉で言ってもなかなか理解できていないと思われた時に手本を見せてくださり、

目標や技の基準がこういうものだとわかりやすく教えてくださる。

師範の場合は最初に本物の7段8段レベルの本気の技を見せてくださり、

そのあと今の僕のレベルの半歩先のレベルの技を見せてくださる。

以前一人の稽古の時にその理由 意図を聞いたことがある。

それはただ高いレベルの技を知ることと、

あまりにもはなれたレベルだと自分が正しい道を進んでいるのかわからなくなるので、

近いレベルでのステップを見せることでそこだったら頑張れば手がとどきそうだというモチベーションになるからだそうだ。

それが多分道場や組織の信用の得方なのだとおっしゃっていた。

今上に立つ人でこれができる人がなかなかいないので社会問題になっているのではないかとおっしゃっていた。

その来客の師範に、最後に僕の師範の杖術の技を見せていた。

こういう技を子どもに見せなければいけないのだと来客の師範が感じておっしゃっていた。

確かに職場や習い事などでもそういう仕事のやり方や術を見せられるだけの自信のある人は少ないと思う。

その技を見せるということは自分に自信がなければできないと思う。

例えていうと、野球のダルビッシュ選手は後輩に自分のピッチングの技術を全て見せて伝えているそうだ。