おすすめ 自立へのストローク

東京パラリンピックで

鈴木孝幸選手が、競泳100メートル自由形で 日本の 金メダル第一号になった。

おめでとうございます。

両手両足に障害があっても 見事な泳力に心打たれた。

 


約10年前、息子が中学生の時に、

鈴木孝幸選手のドキュメンタリー番組 を見た。

『テレメンタリー2009 自立へのストローク ~タカ 22歳の旅立ち~』

 制作 静岡朝日テレビ

 

番組の内容は、

2008年の北京パラリンピックで日本競泳陣の主将を務め、  

50m平泳ぎで見事金メダルを獲得した 鈴木孝幸選手21歳。

1987年に浜松市で両足と右手、左手の指2本がなく障害を持って生まれたが、

両親が育児放棄のため、その後保育園園長の小松洋さん75歳が里親となり育てられた。

「おばあちゃん」と呼ぶ小松さんの愛情を支えにしっかりと育てられ、力を育んできた。

大きな障害があるにもかかわらず、子どもの頃からやんちゃで負けず嫌いだったそうだ。

運動会などのイベントで健常の子達と一緒に必死に頑張る映像には、

手足がなくてもよくここまで頑張れるなあと胸を打たれた。

 

大学を受験し早稲田大学合格し、

どこへ行くにも車で運んでくれた小松さんの元を離れ、

東京での初めての一人暮らしなどさまざまな経験しながら、

「障害をかかえた自分にできることが、きっとあるはずだ」と、

その答えを探し、自立していこうとする姿を追っていた。

北京パラリンピックに出場し、小松さんに見事な金メダルを捧げるまでの密着5年間の映像だった。

孝幸さんが大きなハードルを次々と乗り越えてゆく道のりに加え、

小松さんとお互いに支え合う大切な存在である2人の間の確かな絆が、

私にも大きな勇気を与えてくれた。

「誰からも経済的援助を受けなくていい社会人になることが本当の自立」だと2人は考え、

パラリンピックの後、就職という人生の大イベントに臨む。

このドキュメンタリー番組を見て、

人間が成長していく上では誰かの愛情が必要だということ。

そして、人は気持ちの持ちようで人生はどうにでも変わるのではないかと教えられた気がする。

私だけでなく一緒に見ていた息子も、孝幸選手の頑張りを見て大きな影響を受けたはずである。

 

☆このドキュメンタリーは、どんな障がいを持つ子でも親でも、

必ず頑張る力がもらえると思うので是非見てほしいと思う。

 


この番組を通して息子の目標も変わっていったように思う。

この頃の息子は、サッカーが好きでサッカー部に所属し、

リハビリをしながら自分の身体が少しでも良くなり動き易くなるようにと頑張っている頃だった。

まだ自分の将来の事までは想像もつかず、

目の前の事をクリアして進んでいくだけで精一杯だったと思う。

 

鈴木孝幸選手のドキュメンタリー番組は息子にとっても、母である私にとっても衝撃的だった。

手足に欠損障がいを持ち、産まれてからの苦難は計り知れないが、

育ててくれた保育園の園長先生である小松さん(祖母だったようだが)の

愛情と、健常の子たちとの生活により、

手足が不自由でもこんな事もできるようになるのだ!

と驚かされた。

その時、鈴木孝幸選手は早稲田大学進学をし、一人暮らしを始めていて、

指が2~3本しか無いのに、新聞紙を束ねて紐で括って縛るのもスムーズに出来るし、

包丁を持ってハムを切り、料理もしていた。

 

ここまで出来るようになるためには、

どのような指導を受け、身に付ける事ができたのだろう?

 

鈴木孝幸選手の努力に頭が下がるが、それと同時に、

孝幸選手を預かり育てていた保育園の園長先生(小松さん)の子育て法を知りたいと思った。

 

そして我が息子をみて、

【この子には手足がちゃんとある】

身体の動きのバランスが悪いし、細かい作業は苦手だけど、

やればできるかもしれない!

と、前向きにやる気をもらえた。

息子も自分よりもっと障がいの苦しい孝幸選手の姿を見て、

孝幸選手にできて自分に出来ないはずはない!

という気持ちが持てたようだった。

 

今になって思うと、鈴木孝幸選手が水泳を通して自分の力に挑戦している姿を見たことは、

息子の CPサッカー に挑戦したい

という気持ちを大きくし、さらに

自分も 進学 という夢を持ち始めるきっかけになったのではないかと思う。

 

鈴木孝幸選手が 2021東京パラリンピックでは 5個のメダルを取った。

本当に素晴らしかった。

 

多くの困難があったはずだが、

諦めずに頑張り、障害を跳ね返して苦労が報われたと思う。

孝幸選手の活躍を見て、頑張ることの大切さを多くの子ども達に感じて欲しい。

 

「障害を抱えている子どもたちがパラスポーツを始めるきっかけになるような泳ぎをしたい」

と次世代を見据え、

「選手と国際パラリンピック委員会をつなぐ役割を果たしたい」

という孝幸選手の言葉が、

パラスポーツ人口の拡大と、

共生社会の実現を促進するきっかけになって欲しい と願っている。