運を掴むには

僕か障がいを持って生まれて25年間リハビリを続け、

ここまで僕の身体が良くなることができ、

就職まですることができたのは、助けてくれた多くの方の力や自分自身の努力もあるかもしれないけれど、

『運』も関係していると思う。

先日僕がずっと続けているボイタ法 セラピストの 山内先生が、

先生が僕の担当のセラピストになったのも、26年僕の担当としてやり続けたのも

『運』だと思うと言っていた。

振り返ってみると、

僕が赤ちゃんの時にボイタ法をやっている静岡医療福祉センターを知ることができたこと、

そして今も僕にボイタ法をやってくれている山内先生に会うことができたことも、

今考えるとものすごく運が良かったのだと思っている。

人との繋がりほど、運に関係することはないと思う。

この『運命』ということに対して誰の言葉かは忘れてしまったが、

自分に必要な人は必然的に寄ってくると言っていた。

必要な人間は寄ってくるが、自分にとって必要でない人間は遠ざかっていく。

確かにその通りだと思った。

自分がこれまで関わってきた人の中で、大切な人は今でも繋がっている。

知り合っても自分にとって必要ない人はどんどん忘れていく。

僕の空手の大川昌春師範は、必要な人は50年経ってもどこにいても連絡し繋がっている。

サッカーでも空手でも、必要な人は必然的に会う回数が増える。

生まれてから死ぬまでそういうことは繋がっていると思う。

最終的に死ぬ時まで運というものがあることを実感した。

コロナ禍に祖父が亡くなった。

自宅療養していたが、身近な人に会い誕生日ケーキも食べ、90歳の誕生日に天に召された。

ちょうどコロナが落ち着いている時だったので、

これまで関係していた多くの方とお別れすることができた。

人はどこの国で誰の子どもとして生まれ、どこの場所でどのような状態で死を迎えるかは、究極の運だと思う。

運とは自分で引きつけられるものと、自分や人間の力ではどうにもならないものがあるが、

運を掴むために自分なりの努力が必要だと思う。

ことわざに、『人事を尽くして天命を待つ』 とあるが、

自分の努力できることをやったら、

そのあとはその人の一番いい人生になるように運が導いてくれるのではないかと僕は思っている。

大企業や公務員の人事異動は、よく「ガチャ」(どこに配属されるかわからない) だと言われるが、

それも自分の運と実力が関係していると思う。

だから結局はどんなことでも、努力は必要だと思う。