2022年2月19日静岡新聞朝刊の〝ひろば〟という投稿欄の中学生の記事にとても共感した。
障がいを持っている人に対する寄り添う心と、
今後の課題を提示してくれている。
こんな素直な気持ちを持つ中学生がいてくれることがとても嬉しい。
心で思っていてもなかなか行動できなかったり、理解できない大人もたくさんいる。
障がい者にとって、
・自分の個性を認めてもらえること
・居場所があること
・助けてくれる人がいること
が、生きていく支えになると思う。
よく考えたら、これは障がい者だけに限らず、どんな人にも当てはまる。
障がい者の親である私も、子どもでも大人でも、学校でも職場でも、
この投稿者のような思いを持っていたなら、共生社会がつくられていき
誰もが過ごしやすい、生きやすい、楽しい場所や環境や社会となっていくだろう。
これがいずれは “静岡” が住みやすい、過ごしやすい、行きたい場所に繋がっていくはずである。
この投稿者が大人になってもこの気持ちを忘れないでいて欲しいし、
投稿者の周りの人や、投稿を読んだ方が一人ずつでもいいからこの気持ちを広げていって欲しいと願っている。
「15%」 意識し助け合う行動
(中学生 14歳 中田幌大さんの投稿)
昨年、東京パラリンピックが開かれました。
僕は家で競技を観戦し、日本の選手がメダルを取っている姿に感動しました。
その開閉会式の際、世界人口の15%の人に障がいがあるということを知りました。
その人たちは現在の不公平な社会の変化を望んでいるそうです。
社会の変化には、全ての人が協力していかなければいけないと僕は思います。
たとえ多くの場所でバリアフリー化が進んだとしても、
障がいがある人を受け入れ、困っているときは助けようとする心が一人一人になければ、
全ての人が同じような生活を送れないのではないのでしょうか。
自分にもし障がいがあったら、どうでしょうか。
困っていても助けてくれる人がいなければ、思うように生活できないと思います。
そのような状況に置かれている人がいるということを意識し、
助け合いの精神を持ち、それを行動にうつすことで共生社会への大きな一歩が刻まれると思います。
静岡新聞投稿欄より
息子はこの投稿記事を読んで、世界人口の15%が障がい者であることを中学生が知り、
“こういう考えを持ったのはたいしたものだな“ と思ったそうだ。

しかし障がいを持った当事者の考えと、周りの健常者が障がい者のためにこうしたらよいのでは?
という考えは違う可能性もあることを理解してもらいたいと言っていた。
障がい者のためにバリアフリー化などのハード面をよくしようとしても、
ソフト面はなかなか進んでいない。
ハード面とソフト面をどういうバランスで良くしていくかが、行政の大切なところだ
と言っていた。

パラリンピックの開催についてもまだまだ課題があると思うと言っている。
様々な種目で日本人選手がメダルを獲得していて、同じ障がい者として誇らしく、
メダリストが誕生して日本人に感動を与えることはとても素晴らしいことだとは思うが、
「感動したね」
という感想だけで終わってしまうとパラリンピックの開催した意味がなく、
素晴らしい能力を持った障がい者がたくさんいるので、
これからどのようにして共生社会を作り、
障がい者も健常者と同じ人間として生活し、生きていき易いようにしていくための議論
をするきっかけにしていかないといけないと感じているそうだ。
乙武洋匡さんの
「パラリンピックを廃止し、オリンピックの中に 障がい者部門を作り
大会を統一すべきではないか」
という記事を見て、
オリンピック と パラリンピック を別の大会にしていることは、障がい者への間接的な差別ではないかと感じていたので、大会を統一すべきだという考えに賛成だそうだ。
大会を統一にしていくことで
障がい者と健常者の壁がなくなっていくのではないかと言う。
学校教育で
『パラリンピックを見学する』
というニュースが多く報道されているが、
『競技』としてこういうものがあると見学するのならよいが、
『障がい者が出ている日本開催の世界大会を見学する』
という考えのもとで見学するのは、
「健常者と障がい者は別のものだ」
と、子供たちが感じてしまうのではないか と息子はニュース報道を見て不安に感じたようだ。
