障がい者だからこそできること

障がい者である僕が公務員として働くようになり、最近は障がい者の働き方について思うことが出てきた。

今は社会で働いている多くの人は、男女ともに健常者が大半である。

障がい者には障がい者にしかできない働き方があるのではないかと思う。

障がい者は健常者と比べて仕事をするスピードが遅かったり、ミスが多かったりと劣ることが多いと思う。

障がいを持つということは、就労するという以前に,

自分自身の人生を生きていくことすら大変な人が多いと思う。

僕自身が障がい者の視点で職場の同僚や健常者の母などを見ていると、

健常者は普通に生活でき、働くことが当たり前になり、

不自由なく生きていられることがものすごく尊いこと だと感じている人が少ないと思う。

先日、かかりつけの内科を受診した時に僕が仕事で失敗ばかりだという話をしたら、

障がい者は生きているだけでものすごいことだ と理解しているのか?」

と言われた。

「仕事で失敗しようが、トラブルがあろうが生きていればどうにかなるけれど、命を落としたら全てが無になるぞ。」

と、医師から言われた。

確かにその通りだと思う。

健常者は自分がそのような困難な身体や心の状態になってからや、高齢者になり身体の老いがきてから気づくが、その時にはもう遅いのである。

『生きるとはどういうことか』をちゃんと理解していないのだと思う。

特に、社会を変えられる立場の人ほど『生きる』ということが当たり前になりすぎていると思う。

人間は当たり前のことほど、何も考えようとしないからだ。

「歩くためにはどういうことが必要か」と普通の人は考えないだろう。

しかし障がい者は、できないから考える。

でもどうやってもできないことはできないから、

どうやったらできないことが面白いと思うか、思えるか、

を考えて人生を楽しくしていこうと思っている。

障がい者は、『うさぎとかめ』の話で例えると、

どうやっても『うさぎ』にはなれず、『かめ』だから、

「かめでもかめなりにやるしかない」し、

例えば健常者が1週間や2週間でできることでも、その10倍100倍かけて、1年2年かけてやるしかないのである。

それでもできないこともある。

反対に、障がい者には簡単にできることでも、健常者に簡単にできないこともあると思う。

例えばブラインドサッカーで目の見えない人が普通にサッカーできるのに、

健常者のプロサッカー選手が目を塞ぎ、視覚が失われた瞬間にサッカーができなくなるのもそうである。

ボッチャの重度障がい者が、精度の高いボールを投げたりできるのもそうだと思う。

重度障がい者があんなに凄いプレイができるのに健常者にはなかなかできない。

僕が一緒に練習させてもらっているアンプティサッカーの選手は、

強豪校のサッカー部で活躍していたが、事故などにより障がいを持ってしまい、

今まで当たり前にできていたことができなくなってしまった為に、

歩く事って何なのだろう? 

走るって何なのだろう? 

と考えるようになったそうだ。

これから少子高齢化がどんどん進んでいく中で、

障がい者の人生経験が生きていくのではないかと思う。

高齢者になれば、自分自身の身体を自由に使うことができなくなっていく。

健常者だった人にとって不自由になることの受けとめ方や、

不自由な身体を今より楽にするためにどうしたらいいのか

障がいを持ってしまっても生活していけるノウハウを、

障がい者の先輩から学ぶ機会があるといいと思う。

例えば何かの事故で車いすユーザーになったなら、

自分自身で車いすの使い方を試行錯誤していくよりも、

車いすを長年使っている人に楽に使える方法を教わるほうがいいと思う。

障がい者は一人一人が独特の経験をしているので、

その経験を世の中に還元し、伝えていくことができる社会になってほしい

と僕は強く思う。

これが一人一人の人生設計になっていくと思う。

それを考えていくことが障がい者の生きることの意義や大切さになっていくと思う。

僕もこれから『僕にしかできないこと』を考えていこうと思っている。

障がい者の能力を活躍できる社会を目指して。